南アルプス・北岳バットレス第四尾根~中央稜

2009年9月22~23日

昨年バットレス四尾根を登攀した時に、目の前にとても登れそうもない中央稜を見て「ここは本当に登れるのだろうか?」と思っていましたが、遂に自分が登る日がやってきました。
二週間前にクライミング教室でバットレス四尾根を登ったばかりでしたが、寒さが厳しくなる前に行きたいと思い、何とか日程を調整して行ってきました。



今回のパーティーは自分と嫁、NW同好会のHさんとSさんの2パーティで四尾根登ることになりました。
いつものようにbガリー大滝を登ります。
今回は60mザイルを購入した為、このbガリー大滝も何とか1ピッチで登ることが出来ました。



四尾根の取り付き1ピッチ目は自分がリードして2ピッチ目は「つるべ」で嫁がリードで登ります。
60mザイルなので2ピッチで垂壁まで来れました。



マッチ箱のコルへ懸垂下降で降りて、コルから枯れ木テラスまでも1ピッチで行けます。
嫁も頑張ってリードしてくれました。女性がリードするのって格好いいですね~



四尾根は渋滞もなくbガリー大滝に10時に取り付いて、終了点のテラスに14時には到着できました。
60mザイルだと早いですね~
夕方小雨に降られましたが、本降りにはならず就寝・・・
翌朝曇りではありますが、雲海から朝日が見えました。



今日登る中央稜。この壁をいったいどうやって登るのだろう・・・
不安と期待が入り混じります。



四尾根の終了点から枯れ木テラスまで懸垂下降して、荷揚げ隊の嫁とSさんにザイルを
回収してもらいます。
枯れ木テラスにある懸垂下降点からCガリーに降ります。ここは50mザイルで1ピッチ区切り、
もう50mで2ピッチで降りた方が良いと思います。



Cガリーを一番奥まで詰めます。



中央稜1ピッチ目の取り付きです。1ヶ月前に登ったKさん&Wさんの報告によるとKさん曰わく
「これなら登れる。」と思ったらしいですが、目の前に立つ壁を見て、
「いや~難しいそう!」と思ったのが最初の感想です。
1ピッチ目はHさんの「足が長い奴がリードした方が良い。」と言うよく分からない理由で
自分がリードすることになりました。



1ピッチ目の終了点から。
このピッチは少し被っている為、頭を押さえられてしまいどうしてもへっぴり腰になってしまいました。
その孤軍奮闘している自分の姿が面白かったらしく、Hさんは下で笑っていました。
「笑い事じゃないですから!」
トラバース箇所にピンがなかったのでノーピンでのトラバース、ぼろぼろの壁は
精神的に良くありませんでした。



2ピッチ目のリンネは階段状で快適です。2ピッチ目の終了点は第二ハング下なのに何故かHさんは
リンネの出口でピッチを区切りました。何故でしょう!?



Hさんがリンネを登りすぎてしまったので5m程ロワーダウンして第二ハングまでの10mを
自分がリードしました。
と言うことは、第二ハングの美味しいリードはHさんと言うことになってしまいました。
これは確信犯では!!
第二ハング取り付きからBPの荷揚げ隊の二人が手を振ってくれました。



そして中央稜核心の第二ハングです。
ハング下とハング上にもハーケンが打ってあるので、もし落ちても安心ですね。
HさんはA0バリバリで越えていきました。Hさん曰わく「アルパインだから!」だそうです。



BPのテラスから写真を撮ってくれました。自分が第二ハングを登る所です。



ズームでも撮ってくれました。左手のガバが取れれば楽勝です。



5ピッチ目をリードする自分です。難しそうに見えますが、全然問題ありません。
本当はこの上に終了点がありました。第二ハングからザイル一杯伸ばせば届くと思います。



5ピッチ目の終了点から。
高度感はありますが、何故だか恐怖感は全くありませんでした。



7ピッチ目はボロボロのザレ場を登って終了です。本来5ピッチのルートですが、
ピッチの区切り方がまずかったので7ピッチになってしまいました。
それでもBPから北岳山頂に約3時間で到着できたので良かったかな?



中央稜の終了点でザイルを解いて、踏み跡をたどり山頂の匂いがする方に進むと・・・
目の前に北岳山頂の道標がありました。
これには感動!まさしくビンゴでした。最後が山頂ってやっぱり気持ち良いですね!
荷揚げ隊の二人と中央稜を一緒に登ってくれたHさんの四人で記念撮影!

北岳バットレス中央稜は日本で最高所にあるクライミングルートです。そのクライミングルートを登攀することが夢でした。
そして中央稜を初登した「松濤明氏」、「宮澤憲氏」の二人の初登に関する記録も興味深いです。
当時、試登を繰り返していた松濤氏が宮澤氏を誘って中央稜を登った際、核心の第二ハングを松濤氏は越えられず、宮澤氏が越えていったとのことです。
松濤氏の初登の報告には宮澤氏の名前はなく、イニシャルでMのみだったそうです。
松濤氏の自尊心の高さの表れでしょうか・・・
その辺りの詳しいことは宮澤氏著「ヒマラヤ一つ峰の物語」に書かれています。

自分の誘いを受けてくれたHさん、四尾根をつるべで登ってくれた嫁、中央稜の詳しい情報を教えてくれたKさん&Wさんに感謝いたします。

投稿者・トシゾー