愛鷹連峰・鋸岳第三ルンゼ(投稿者・言)

2009年4月4日

トシゾーさんからのメールを読み、体が震えた。
一気に目が覚めたような感じがした。
不安と好奇心が同居するこの冒険の予感。
眠りかけていた心を刺激する山の道を、トシゾーさんが見つけ出してくれた。

愛鷹連峰、鋸岳第三ルンゼ。

ルンゼとは「岩壁に食い込む急な岩溝」を意味するドイツ語だ。
今回の装備欄にはクライミングシューズ、ハーネス、ヘルメットが記されていた。
要するに岩をよじ登る場面に遭遇するということだった。パーティーはトシゾーさん、
私(言)とツノッチで構成された。この頼もしい二人とまた冒険を分かち合える喜びを感じた。

車を止め、さっそく林道を歩き出した。4月の初旬、それほど寒さを感じなくなる季節だった。
アスファルトで舗装された道を進んでいくと、小さな無人の須津山荘が見えてきた。
それからしばらく進み、両側に傾斜の強い山々がそびえ立つ川原の中へと入っていった。


高さ10mほどの堰堤についたハシゴを登り、川を遡った。
少し広くなっている砂地で休憩をとることにした。澄んでいる沢の水を眺めていると、
気分が落ち着いた。


さらに進むと、川幅は狭まり沢となった。
そして割石沢と第一、二、三ルンゼの分岐を示す道標の前でトシゾーさんが地図を確認した。
ここまで高度はそれほど上がってはいなかったので、私たちは、この先にあるルンゼの登りの厳しさを
予想していた。

ルンゼに向けて歩いていくと、沢が二つに分かれていた。
道標がなかったのでトシゾーさんはあたりを見回しながら地形を読み、私とツノッチは二手に分かれ
偵察に出た。トシゾーさんは左の沢と判断した。
しばらく登ると「第三ルンゼ」の看板を見つけ、この選択は正解だったとわかった。
そして私たちは冒険の核心に入っていく興奮を抑えながら、ハーネス、ヘルメットを装着した。


第三ルンゼの入り口は狭い沢となっていた。岩質はとてももろく湿っていた。
この先に四つの滝が私たちを待っているということだった。チョックストーンを左にぬけ、
F1にたどり着いた。私たちはF1を眺め岩壁の中にルートを探したのだが、もろく湿った岩に、
いやな危険を感じた。直接、この滝を登ることは諦め、巻き道を探すことにした。
トシゾーさんが滝の右側に残置ロープを見つけるとすぐにその壁に取り付いた。
「この残置ロープを信用できない」と言いながら、ステミングで安定した登攀をした。
「この残置ロープはしっかりしているぞ!」と登りきったトシゾーさんが伝えてくれた。
しかし、私は残置ロープに頼るつもりはさらさらなかった。ただこの岩壁に触り、登りたいという、
はやる気持ちだけで登り始めた。
すぐに後悔した。黒光りするコケのついた滑りやすい岩は、私の安易な想像とは違っていた。
2mほど登った地点で両手、両足がふさがってしまった。
上にも下にも行けない状態に恐怖が押し寄せてきた。
恐れはよくない結果を想像させ、あせりを呼んだ。顔の前には残置ロープが垂れ下がっていた。
無意識に私はその残置ロープを歯で咬もうとした。

「ちょっと待て、そこまで追い込まれてはいない」

恐怖に飲み込まれていない冷静な自分が違う方法を考えるようにぎりぎりで働いた。
一瞬、体を浮かすことで(デッドポイント)自由になった手を動かし、残置ロープをつかんだ
。歯の力も強いだろう、しかし手でつかんだほうが確実だった。
慎重に岩が崩れないか調べながら登りきった。
恐怖に負けていたら本来できる動きや考えができなくなる。このときの敗北は大怪我を意味していた。
クライミングの技術、力はもちろん必要だが、精神的な、
特に恐れとの葛藤に勝たなくてはならないのだと知った。
しかし恐れはとても手ごわい相手だとも感じた。
最後に登ったツノッチが心配そうに「言の体が一瞬、宙に浮いた」と聞いたので、
そのときの状況を説明した。


ルンゼの中を進み、二つ目の滝が現れた。再び滝を前にしばらくにらんでいた。
ハーケンを打つにはもろすぎる岩となんとか登れそうな傾斜にクライミングギアやザイルは
使わないことにした。
トシゾーさんが滝を登り始めた。3mほどの高さにあったいい足場に足を乗せ
「ここまで来れば大丈夫」と残り1mを登った。
私の順番になり登り始め、その足場に手を置いた。
すると、しっかりしているように見えたその足場となる岩がグラッと動いた。
頼りにしていたその足場が使えなくなり、違うホールドを探すのだがなかなか見つからず、
その場でしばらく考え込んでしまった。
F1のときと同じように葛藤を感じ、そしてまた負けるわけにはいかなかった。
細かいくぼみを見つけ何とか登りきった。
最後に登ったツノッチがその足場を使った瞬間にその岩は崩れ落ちていった。
ツノッチはそれでも登りきった。


F3は落石を落とさないように気をつけるだけで、簡単に登った。
F4は低いがホールドがなくオーバーハングしていたので、右に巻いた。


私たちは難関であった四つの滝を、巻き道はあったが、乗り越えることができた。
夢中で気付かなかったが、いつの間にか曇り空となっていた。
私たちは岩壁にはさまれた薄暗い影の中にいた。


駿河湾から吹く風に乗って、稜線を見上げる私たちを、ガスが追い越していった。
霧にひそむ、浸食された奇怪な岩々は、異様なほどの静けさを発していた。
まるで魔物の棲家に来てしまったようであった。風が冷たく、また落石の巣であるルンゼに
長居はできずに緊張感は続いていた。
しかし、危険を冒し、乗り越えて得たその不気味な光景に私は満足していた。


この後、鋸岳から位牌岳への縦走するのだが、激しいアップダウンと崩れかけている危険箇所に
苦しめられた。
私の2倍以上の重さを背負ったトシゾーさんはさすがに疲れていた。
ツノッチは疲れたと言いつつも余裕の表情であった。私は体力のある二人に何とかついていった。
位牌岳山頂で昼食をとり、下山はカモシカのように降り、予想より一時間早く着いた。
ちょうど雨が降り始め、ほてった体を程よく冷やしていった。

投稿者・言