今回、山野井氏が来静され講演される前に、彼の代表作の一つであるスコーピオンを訪れた。
岩肌が抉れて、毒針をもたげた形状から名付けられた 5-12aである。
19歳の少年が、ヨセミテで学んだものを叩き出したかのように気丈であり、
ダイナミックなオーバーハングのクラックに開拓の心意気が感じられた。
《どんな男なのだろうか?》
2月5日1:30p.m.;
当日の昼下がり、急いで私宅を終え仕事を休み、講演会場に向かった。
開場を待つ人で、既に列が出来上がっており、その中に引き締った男がいる。
見たところ屈強の戦士のイメージとは違い、スリムなシュルエットが浮かび上がっているではないか。
《ちょっと驚きであった!》
彼の年表史を紐解く形でスライドショーが始まった。
あどけない中学3年の頃、既にクライミングに没頭している感が伺えるが、
更に、高校生になれば本チャンの、谷川岳一の倉沢(二の沢)右壁ドームを登攀している。
クライマー聖地ヨセミテ;
大きな岸壁に圧倒された少年の心に、ヨセミテ渓谷の象徴となるハーフドームはどのように映ったのだろうか?
クライマー山野井泰史の大きな分岐点になったことだろう。『彼は淡々と、さらっと話すが・・・』
この大きな、ビッグウォールが彼を心底鍛え上げたのでないだろうか(フリーソロ技術は後のことだろうが)。
自転車でもそうだが、長い直線距離をどこまでも漕ぐ事が上達の秘訣だと思う。
そして、この時に、彼の美学に一つの形状を与えたのだと思う。
それは無心の努力ができること。
あの険峻な岩の上に立ちたい。
そんな自分にふさわしい匂いを嗅ぎ取り、価値観を掴み取り、今に至ったのだと思えてならなかった。
《生きているのか、死んでいるのか、分からないような大人が徘徊している社会とは無縁な男の誕生だった。》
そして、この後の写真は、彼を新しい幕開けにと誘ったヨセミテ ラーキング フィアが映し出された。
ヨセミテ渓谷、コズミックデブリ・エルキャピタンなど、フリーソロ技術と自信を開花させた象徴とも云える岩場。
放浪クライミングの果てに、誰よりも難易度が高く、より急峻で、より高く、険しい岩場へと向かう足掛りとなった岩場。
フリークライミングの頂点に立てた者だけが望める究極のステージ・・・フリーソロ・・・。
北極圏パフィン トール西壁; 《極限のスパー・ソロ・クライミング》
エルキャピタンを凌ぐ大きな岩塊が雪煙で渦巻いている写真。
傍らでは、彼が半指を出した(軍手のような)手袋に雪がこびり付いている。
よく見ると、指先が白く、浮腫が起こっている。 魂の叫びが聞こえそうだ。
金が無いとはいえ、貧弱な装備で、よくもまぁ北極圏にまできたものだ。 まるで昔の修験道の行者のようだ。
とても冒険・探検・山岳装備で登る世界観でなく、自分の力を信頼し、身一つで登りきってやるイメージだ。
しかしながら岩と雪131号によると、彼は二度墜落し、まさに命を懸けて神頼みで登っている描写がある。
《脆い赤岩に打ち込んだナイフブレードは今にも抜けそうだ、退却も不可能、赤い壁で行き詰った・・・・僕を殺さないでくれ!》
現に静岡登攀クラブの遭難跡も登場してくるが、命を懸けるだけの価値感は、それを乗り越えられた者だけにしか分からないと思う。
さらに食いつく様に、一枚一枚のスライドに目を凝らす・・・